自律神経失調症 不眠症 機能性ディスペプシア 闘病日記

自律神経失調症 不眠症 機能性ディスペプシアの闘病日記

自律神経失調になりやすい体質、性格

私が自律神経失調症になったのは今回が初めてではありません。22歳くらいの時全然眠れなくなり食欲がなくなりました。毎日2時間くらいの睡眠時間しか取れずそれでも頑張って会社へ行っていました。眠れなくなってから耐えられなくなって1,2カ月くらいで会社を退社しました。きっかけは母親が癌で余命3カ月と宣告されてからです。結局母は1年ほど生きました。この時は若かったおかげもあるかと思いますが、病院へ行かず薬も飲まず自力で治しました。(十分に眠れてはなかったですがなんとか生活できるくらいまで回復しました。)私は家族が病気になると自分も病気になるようです。もともと繊細で臆病で心配性、真面目で責任感が強く正義感が強い性格です。育ってきた環境もあると思いますが、物心ついた時から自分は必要のない人間だと思ってきました。自分の足りない部分ばかり目に行ってしまい自分を責めてしまいがちでした。完璧主義なのかなぁ。娘もそんな私に育てられたせいか真面目で責任感が強い我慢強い性格です。自律神経の働きが弱い体質と病気になりやすい性格を私から受け継いでしまったようです。でも娘の場合私みたいに自尊心の低さはないし臆病でもないのでちょっと安心しています。私は昔よりは良くなってきたと思いますが、まだ自分を責める癖が直っていないです。人や自分に厳しくていろんなことを厳しい目で見てしまいます。だからとても心が苦しくなります。自分にもっと優しく出来たら人に対しても優しく出来て平安でいられるのに。
今は病気で働けないので家事くらいしかできないし体調悪くて横になってばかりで生産性のない生活してる。人に奉仕もできない。体が辛くて愚痴ばかりでてしまう。って責めてしまいがちです。体調悪くても家事をして娘の送迎やお弁当作りもずっとやってきて私頑張ったねって褒めてもいいのにね。でもそんな気持ちもあります。もっと自分を愛してあげて褒めてあげてポジティブになる。体調が悪い中でもいつも感謝と喜びがあって平安でいる。私の課題で理想です。
私は娘に考え方を変えたいと話をしていました。その時彼女が「お母さんはいつも自分を変えようという気持ちが強いけど今のままの自分を受け入れて自分の感情に共感するといいよ」言ってくれました。確かに今の自分のままを愛せたら幸せでいられる。
「プロカウンセラーの共感の技術 杉原保史」お勧めの本です。読んだのに実践できていなかったです。

今日の症状

昨日食欲不振が酷かったにもかかわらず無理して吹奏楽団の定演を二つはしごして聴きに行ってしまいました。そのせいもあっていつもより夜中に起きる時間が早く12時半、4時半に起きました。2度寝3度寝できたのが救い。そして昨日総菜パン一つしか食べていないにもかかわらず今日も朝から食欲不振。今日も一日食べられないかなと心配しましたが、夕方4時ごろ一食分食べられました。安心しました。
私はクリスチャンなので日曜日には教会へ行きます。3時間プログラムの後なんだかんだで家に帰ってくると2時くらいです。やっぱり出かけると疲れます。出かけた後は横になってNHKFMのきらクラを聴いていることが多いです。発症したばかりのころ症状が酷くて目を使うことが負担でテレビも見れない本も読めない時唯一の楽しみがきらクラを聴くことでした。他の日はクラシックのCDを聴いたり友人が貸してくれた寂静さんのCDを聴いていました。あとはただ辛いのをじっと耐えて何時間も何もしないで横になっていました。よく耐えてきたなぁと自分でも思います。今も症状が辛くてもう耐えられない!と思うことが何度もありますが、希望をもちたいです。

自律神経失調症になったきっかけ

私が自律神経失調症になったきっかけとしては娘が酷い自律神経失調症になって動けなくなったことです。彼女は不眠、倦怠感、吐き気、食欲不振の症状が出て一時寝たきり状態になりました。大学も暫く行けませんでした。娘が病気になった2か月後に私の病気が発症しました。娘は睡眠薬を飲まずになんとか過ごすことができ、大学も体調が悪い中単位を取るためになんとか通っていました。私は彼女のサポートをするために片道1時間の道のりを大学まで送っていました。仕事があったので2往復していました。そんな生活をしている中、だんだん眠れなくなり一日3時間の睡眠が一か月続いて耐えられなくなり心療内科へ行きました。睡眠薬をもらい生活していましたが、改善されずどんどん体が動かなくなりとうとう何もできなくなりました。仕事もやめざるを得ませんでした。娘は私が動けなくなったことによって大学へ一人で電車とバスで通わなくてはいけなくなりました。主人は単身赴任で家にいないため酷い自律神経失調症になった者同士で何とか生活していかなくてはなりませんでした。行きは何とか駅まで娘を頑張って送りましたが、帰りのお迎えはとても無理でした。食事を作ることも難しかったので教会の人たち(私たちは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員でクリスチャンです。)に帰りのお迎えと週2回お食事を届けてもらいました。8カ月くらい助けてもらいました。彼らの愛と奉仕がなければ私たちはどうなっていたか分かりません。感謝でいっぱいです。
娘もいまだに病気が治らず今月大学を卒業しますが、就職は無理なのでバイトしながら療養生活をする予定です。教育大学へ行っていましたが病気で実習へ行けず資格が取れませんでした。(こんなに自律神経失調症という病気が長引くと思わず休学をしませんでした。ずっと病気で大変な大学生活でかわいそうでした。)でも無事大学を卒業できることは感謝しなければ。